「越智信平」の版間の差分
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2022年5月31日 (火) 14:50時点における最新版
(をちしんぺい)
基本情報
よみがな | おちしんぺい |
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職業 | 随筆家 |
生年 | 1909 |
没年 | 1964 |
出生地 | 愛媛県松山市衣山町 |
経歴
明治42年4月5日愛媛県松山町衣山町生れ。昭和39年4月8日歿。県立松山商業学校を経て、昭和10年法政大学高等師範部英語科卒。12年佐々木文郞と月刊誌「山を行く」を創刊。16年「作家精神」同人となり、長篇「挿話」「渦」「みれん」等を発表。一方日活多摩川撮影所を経て、東京足立中学校、国士舘中学校で英語教師を務めたのち、19年国際電気株式会社(戦後逓信省に合併、更に日本電信電話公社となる)に入社。24年宣伝課機関紙「電信電話」編集長、38年辞職してダイヤル社を設立、電電公社部外宣伝誌「ダイヤル」を創刊した。
作品
- 隨筆集 尋ね当らず ( 昭和29年12月15日 四季社 <四季新書> ) → 「尋ね当らず」をさがす
- とつぽ譚 ( 昭和31年4月5日 四季社 <四季新書> ) → 「とつぽ譚」をさがす
- 雑魚の目 ( 昭和34年10月20日 刀江書院 ) → 「雑魚の目」をさがす
- 小説 赤いランプ ( 昭和36年12月25日 圭文館 ) → 「赤いランプ」をさがす
- 花の雨 越智新平追悼録 ( 昭和40年4月8日 越智啓子刊 ) → 「花の雨 越智新平追悼録」をさがす