「宇佐美不喚洞」の版間の差分
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2021年7月17日 (土) 16:16時点における最新版
(うさみふくわんどう)
基本情報
よみがな | うさみふかんどう |
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職業 | 俳人 |
生年 | 1877 |
没年 | 1939 |
出生地 | 石川県 |
本名 | 宇佐美英 宇佐美英太郞 |
別名 | 不、不喚、不喚書屋主人、不喚樓、不喚樓主人、不喚生、不感洞、喚 |
経歴
明治10年11月8日石川県生れ。昭和14年1月28日歿。本名英、初名英太郞。筆名不、不喚、不喚書屋主人、不喚樓、不喚樓主人、不喚生、不感洞、喚等。函館商業学校卒。東武鉄道入社、重役根津嘉一郞に重用せられ、その娘と結婚、のち同社支配人、また日本実業家協会協会書記長、東京湾汽船専務等を務めた。家内不和により、綱島梁川の見神論、近角常觀、キリスト教に親炙、俳句は明治35年から河東碧梧桐に師事して自由律も、交友は流派を超えた。
作品
- 見神論評 ( 編 宇佐美英太郞名 明治40年4月25日 金尾文淵堂 ) → 「見神論評」をさがす
- 目藻 ( 宇佐美不喚名 大正6年7月13日 自刊 東京堂発売 ) → 「目藻」をさがす
- 涓滴不喚洞 ( 昭和11年3月10日 書物展望社 ) → 「涓滴不喚洞」をさがす