「今村明恒」の版間の差分
→ 日本の古本屋で本をさがす (→作品) |
|||
44行目: | 44行目: | ||
|書名=地震と震災 その原因と豫防 | |書名=地震と震災 その原因と豫防 | ||
|接尾辞= | |接尾辞= | ||
− | |共著者名[[加藤武夫]]、[[國富信一]]共著 | + | |共著者名=[[加藤武夫]]、[[國富信一]]共著 |
|別名= | |別名= | ||
|責任表示= | |責任表示= | ||
72行目: | 72行目: | ||
|シリーズ名=朝日新選書 | |シリーズ名=朝日新選書 | ||
|}} | |}} | ||
+ | |||
== 文献 == | == 文献 == | ||
2024年5月19日 (日) 19:31時点における最新版
(いまむらあきつね)
基本情報
よみがな | いまむらあきつね |
---|---|
職業 | 地震学舎、理学博士 |
生年 | 1870 |
没年 | 1948 |
出生地 | 薩摩国 |
別名 | 常次郞。吟風、鹿島洋々 |
経歴
明治3年6月14日薩摩国生れ。昭和23年1月1日歿。幼名常次郞。号吟風、鹿島洋々。明治27年帝国大学理科大学物理学科卒。29年陸地測量部数学教授、陸軍教授。38年刊行の『地震學』は日本人による地震学書の嚆矢。大正11年陸軍省の命で海外出張。翌年の関東大震災には政府との連絡、新聞記者発表、各界への応答等調査活動の中心人物として活躍、「はやりつ兒今村明恒博士」の記事が新聞に載った。東京帝大理学部に地震学科が新設せられ主任教授となる。15年地震研究所員、翌年赤坂離宮で御前講演。昭和4年地震学会初代会長、機関誌『地震』編集主任。
作品
- 地震の理論と今回及び今後の東京地震 ( 大正13年2月18日 岩波書店 <科學普及叢書> ) → 「地震の理論と今回及び今後の東京地震」をさがす
- 地震講話 ( 大正13年4月8日 岩波書店 ) → 「地震講話」をさがす
- 地震と震災 その原因と豫防 ( 加藤武夫、國富信一共著 昭和6年2月12日 朝日新聞社 <朝日民衆講座> ) → 「地震と震災 その原因と豫防」をさがす
- 鯰のざれごと ( 昭和16年10月10日 三省堂 ) → 「鯰のざれごと」をさがす
- 蘭學の祖 今村英生 ( 朝日新聞社 <朝日新選書> ) → 「蘭學の祖 今村英生」をさがす
文献
- 地震予知の先駆者 今村明恒の生涯 ( 山下文男著 平成元年9月1日 青磁社 ) → 「地震予知の先駆者 今村明恒の生涯」をさがす