「石井漠」の版間の差分
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2023年12月6日 (水) 20:29時点における最新版
(いしゐばく)
基本情報
よみがな | いしいばく |
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職業 | 舞踊家 |
生年 | 1886 |
没年 | 1962 |
出生地 | 秋田県山本郡下岩川村 |
本名 | 石井忠純 |
別名 | 草秀、石井林郎 |
経歴
明治19年12月25日秋田県山本郡下岩川村生れ。昭和37年1月7日歿。本名忠純。筆名草秀。秋田中学校を中退、文学を志して明治40年上京。同窓の小杉天外家に書生として住込み、のち三島霜川宅に移る。帝劇歌劇部第一期研究生となり石井林郎を名乗る。G・V・ローシーよりクラシック・バレーを習う。大正3年卒業。5年林郎を漠と改称し、舞踊詩と命名した創作舞踊を帝劇で発表も理解されず、翌年以後浅草オペラに出演。11年義妹石井小浪とヨーロッパに渡り、最初の公演地ベルリンで称賛を浴び、各地を巡演。帰国後石井漠舞踊研究所を開き、朝鮮出身の崔承喜等多くの後進を育てた。
作品
- 随筆 私の顔 ( 昭和15年8月30日 モダン日本社 ) → 「私の顔」をさがす
- 世界舞踊藝術史 ( 昭和18年9月7日 玉川学園出版部 ) → 「世界舞踊藝術史」をさがす
- 舞踊さんまい ( 昭和22年10月30日 右文社 ) → 「舞踊さんまい」をさがす
- 私の舞踊生活 ( 昭和26年2月20日 大日本雄弁会講談社 ) → 「私の舞踊生活」をさがす
- わが青春の懺悔録 ( 池田みち子、高橋義孝、中村武志、森田たま、野上彰、小松淸、長谷川幸延、保高德藏、山川菊榮、奧野信太郞、十返肇、宮城千賀子、松尾邦之助、丸岡治、小堀杏奴、大宅壯一、靑野季吉、小倉淸太郞、金子光晴、川田順、白洲正子、中河与一、向井潤吉、松本幸四郞(八世)、荒正人、豐道春海、宮田重雄、曉テル子、澤村宗十郞(八世)、田村泰次郞、澁澤秀雄、野間仁根、淸川虹子、内村直也、山田耕筰、長谷川春子、室生犀星、岩井半四郞、永田雅一、近藤日出造、合著 近藤日出造編 昭和33年8月1日 雪華社 ) → 「わが青春の懺悔録」をさがす
文献
- をどるばか 人間石井漠 ( 山野辺喜美子 昭和37年3月7日 宮坂出版社 ) → 「をどるばか 人間石井漠」をさがす
- 舞踊詩人石井漠 ( 石井歓 1994年6月1日 未来社 ) → 「舞踊詩人石井漠」をさがす