「小山内宏」の版間の差分
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− | 大正5年6月11日東京生れ。昭和53年1月4日歿。筆名青海鱗太郞。[[小山内薰]] | + | 大正5年6月11日東京生れ。昭和53年1月4日歿。筆名青海鱗太郞。[[小山内薰]]の次男。少時父と親交のあった[[岡本一平]]の元で漫画を習う。<ref>「豆漫画家志望のころ」岡本太郎(「からたちの花は白いか」所収)</ref>成城学園を経てフィリピンのセント・トーマス大学で民族学を修めた。戦時陸軍に徴集せられ、フィリピンの陸軍情報部に勤務するも、病を獲て終戦前に内地送還。戦後は通訳の傍らハワイアン・バンドを率いて占領軍のキャンプを巡り、[[山川惣治]]等のアシスタントをしたのち、<ref>「一平漫画の世界 6一平塾」[[清水勲]](「一平全集 増補第二十巻」324頁 1991年大空社 所収)</ref> 児童書や小説「大いなる翼」「ゴライアスの影」等を著わしていたが、のちに「ヴェトナム戦争―このおそるべき真実」がベスト・セラーとなり、爾来軍事評論家として活躍。他に「ヴェトナムはどうなる?―戦争か平和か」「中ソ戦争」等多数。[[小山内富子]]編「からたちの花は白いか―小山内宏追悼集」があり、[[小山内富子]]著「ちょっとコーヒーのみに行ってます」は妻による追想記。 |
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2022年7月19日 (火) 15:04時点における版
(をさないひろし)
基本情報
よみがな | おさないひろし |
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職業 | 軍事評論家、小説家 |
生年 | 1916 |
没年 | 1978 |
出生地 | 東京 |
別名 | 青海鱗太郞 |
経歴
大正5年6月11日東京生れ。昭和53年1月4日歿。筆名青海鱗太郞。小山内薰の次男。少時父と親交のあった岡本一平の元で漫画を習う。[1]成城学園を経てフィリピンのセント・トーマス大学で民族学を修めた。戦時陸軍に徴集せられ、フィリピンの陸軍情報部に勤務するも、病を獲て終戦前に内地送還。戦後は通訳の傍らハワイアン・バンドを率いて占領軍のキャンプを巡り、山川惣治等のアシスタントをしたのち、[2] 児童書や小説「大いなる翼」「ゴライアスの影」等を著わしていたが、のちに「ヴェトナム戦争―このおそるべき真実」がベスト・セラーとなり、爾来軍事評論家として活躍。他に「ヴェトナムはどうなる?―戦争か平和か」「中ソ戦争」等多数。小山内富子編「からたちの花は白いか―小山内宏追悼集」があり、小山内富子著「ちょっとコーヒーのみに行ってます」は妻による追想記。
作品
- 推理小説 大いなる翼 ( 青海鱗太郞名 昭和31年 私家版 南風書房 ) → 「大いなる翼」をさがす
- ゴライアスの影 ( 昭和32年 ) → 「ゴライアスの影」をさがす
- ヴェトナム戦争 このおそるべき真実 ( 昭和40年4月30日 講談社 <ミリオン・ブックス> ) → 「ヴェトナム戦争 このおそるべき真実」をさがす
- ヴェトナムはどうなる? 戦争か平和か ( 昭和42年2月25日 講談社 <ミリオン・ブックス> ) → 「ヴェトナムはどうなる? 戦争か平和か」をさがす
- 中ソ戦争 ( 昭和48年7月30日 東京ジャーナルセンター ) → 「中ソ戦争」をさがす
文獻
- からたちの花は白いか 小山内宏追悼集 ( 小山内富子著 昭和53年12月2日 私家版 ) → 「からたちの花は白いか 小山内宏追悼集」をさがす
- ちょっとコーヒーのみに行ってます ( 小山内富子著 昭和54年12月8日 話の特集 ) → 「ちょっとコーヒーのみに行ってます」をさがす