「岡松甕谷」の版間の差分
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− | 文政3年1月14日豊後国大分郡高田村(熊本領)生れ。明治28年2月18日歿。諱辰、字君盈、通称辰五郞、辰五、伊助。[[帆足萬里]]に学ぶ。時習館寮生、藩中小姓班に列す。維新後昌平坂学問所教授、大学少博士となり太政官権少史に補せられるも、辞して延岡、熊本島で教授。明治9年上京、私塾紹成書院を開き授業千人を数えた。東京大学教授、学士院会員。万里在世の折蘭学を修め英学にも通じて西洋書数種を訳すなどしたが、のち西洋一辺倒の風潮を嫌厭して西洋を語ること絶ちしと。法学者[[岡松參太郞]]の父。 | + | 文政3年1月14日豊後国大分郡高田村(熊本領)生れ。明治28年2月18日歿。諱辰、字君盈、通称辰五郞、辰五、伊助。[[帆足萬里]]に学ぶ。時習館寮生、藩中小姓班に列す。維新後昌平坂学問所教授、大学少博士となり太政官権少史に補せられるも、辞して延岡、熊本島で教授。明治9年上京、私塾紹成書院を開き授業千人を数えた。東京大学教授、学士院会員。万里在世の折蘭学を修め英学にも通じて西洋書数種を訳すなどしたが、のち西洋一辺倒の風潮を嫌厭して西洋を語ること絶ちしと。法学者[[岡松參太郞]]、工学者[[井上匡四郞]]の父。 |
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2022年6月12日 (日) 14:46時点における版
(をかまつをうこく)
基本情報
よみがな | おかまつおうこく |
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職業 | 旧熊本藩壽 |
生年 | 1820 |
没年 | 1895 |
出生地 | 豊後国大分郡高田村(熊本領) |
別名 | 辰、君盈、辰五郞、辰五、伊助 |
経歴
文政3年1月14日豊後国大分郡高田村(熊本領)生れ。明治28年2月18日歿。諱辰、字君盈、通称辰五郞、辰五、伊助。帆足萬里に学ぶ。時習館寮生、藩中小姓班に列す。維新後昌平坂学問所教授、大学少博士となり太政官権少史に補せられるも、辞して延岡、熊本島で教授。明治9年上京、私塾紹成書院を開き授業千人を数えた。東京大学教授、学士院会員。万里在世の折蘭学を修め英学にも通じて西洋書数種を訳すなどしたが、のち西洋一辺倒の風潮を嫌厭して西洋を語ること絶ちしと。法学者岡松參太郞、工学者井上匡四郞の父。
作品
- 初學文範 全三冊 ( 明治10年1月27日 紹成書院蔵、星野松藏発売 ) → 「初學文範」をさがす
- 校定 地理撮要 全二冊 付図一冊 ( 明治14年5月 奎文堂 ) → 「地理撮要」をさがす