「中江兆民」の版間の差分
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+ | 明治4年フランス留学、7年帰国して仏学塾を開き、翌年東京外国語学校校長、また元老院権少書記官も10年辞官。14年『東洋自由新聞』主筆、翌年『政理叢談』創刊。その後『東雲新聞』『立憲自由新聞』『北門新報』等の主筆を務め、23年衆議院議員も程なく辞職。30年国民党を結成し、33年国民同盟会に参加。『中江兆民全集』全十七巻別巻一刊。 | ||
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2023年10月2日 (月) 20:53時点における最新版
(なかえてうみん)
基本情報
よみがな | なかえちょうみん |
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職業 | 評論家 |
生年 | 1847 |
没年 | 1901 |
出生地 | 土佐国 |
本名 | 中江篤介 |
別名 | 竹馬、篤助。別号南海仙漁、木強生、火の番翁、秋水、靑陵、兆民生、兆民老人、兆生 |
経歴
弘化4年11月1日土佐国生れ。明治34年12月13日歿。本名篤介、幼名竹馬、篤助。別号南海仙漁、木強生、火の番翁、秋水、靑陵、兆民生、兆民老人、兆生等。
明治4年フランス留学、7年帰国して仏学塾を開き、翌年東京外国語学校校長、また元老院権少書記官も10年辞官。14年『東洋自由新聞』主筆、翌年『政理叢談』創刊。その後『東雲新聞』『立憲自由新聞』『北門新報』等の主筆を務め、23年衆議院議員も程なく辞職。30年国民党を結成し、33年国民同盟会に参加。『中江兆民全集』全十七巻別巻一刊。
全集
- 中江兆民全集 全17巻別巻1 ( 昭和58年11月15日~61年4月30日 岩波書店 ) → 「中江兆民全集」をさがす
作品
- 理學沿革史 全二冊 ( 訳 アルフレット、フーイエー著 本名 上册 明治19年2月 下册 4月 文部省編輯局 ) → 「理學沿革史」をさがす
- 理學鉤玄 ( 本名 明治19年6月 自刊 集成社 ) → 「理學鉤玄」をさがす
- 撰擧人目ざまし 内題「選擧人目ざまし」 ( 本名 明治23年4月5日 金港堂 ) → 「撰擧人目ざまし」をさがす
- 佛和字彙 ( 野村泰亨共訳 本名 明治26年12月28日 野村泰亨刊 佛學研究會蔵版 ) → 「佛和字彙」をさがす