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明治9年8月8日新潟県佐渡相川町生れ。昭和8年7月30日歿。本名穀城。筆名山花、砂土老客、茶狂、雌黄生等。明治29年『新潟新聞』入社。また鐵幹[[與謝野寛]]著『東西南北』(明治29年7月10日明治書院)一読共鳴、新派を唱えて論説と共に歌作を紙上に揚げ始めた。[[佐佐木信綱]]来港の折、[[竹柏會]]入会の勧誘を受けるも応ぜず、のち次第に信綱一派の歌風に反撥、郷土の旧派[[原宏平]]、[[日野資德]]をも論難するなど、徹底新派を貫いた。32年みゆき會を組織して新体詩を作る。34年主筆兼編集局長となり、翌年雑誌『若菜舟』を創刊。次いで、歌集『野調』を小金花作の名で刊行。大正9年[[市島春城]]の要請で上京、郷土の先覚[[前島密]]の遺稿集『鴻爪痕』([[市野彌三郞]]編、大正9年4月27日前島彌刊)の編纂を助勢。15年には前年より紙上に連載していた『縣會波瀾史』を出版。
  
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2023年12月29日 (金) 15:42時点における版

(やまだはなさく)


基本情報

よみがな やまだはなさく
職業 歌人、新聞記者
生年 1876
没年 1933
出生地 新潟県佐渡相川町
本名 山田穀城
別名 山花、砂土老客、茶狂、雌黄生、小金花作



経歴

明治9年8月8日新潟県佐渡相川町生れ。昭和8年7月30日歿。本名穀城。筆名山花、砂土老客、茶狂、雌黄生等。明治29年『新潟新聞』入社。また鐵幹與謝野寛著『東西南北』(明治29年7月10日明治書院)一読共鳴、新派を唱えて論説と共に歌作を紙上に揚げ始めた。佐佐木信綱来港の折、竹柏會入会の勧誘を受けるも応ぜず、のち次第に信綱一派の歌風に反撥、郷土の旧派原宏平日野資德をも論難するなど、徹底新派を貫いた。32年みゆき會を組織して新体詩を作る。34年主筆兼編集局長となり、翌年雑誌『若菜舟』を創刊。次いで、歌集『野調』を小金花作の名で刊行。大正9年市島春城の要請で上京、郷土の先覚前島密の遺稿集『鴻爪痕』(市野彌三郞編、大正9年4月27日前島彌刊)の編纂を助勢。15年には前年より紙上に連載していた『縣會波瀾史』を出版。

 歿後、與謝野晶子序、北原白秋口絵(著者像)を添えた『山田花作歌集』が出版せられ、春城、相馬御風等の追想分を年譜と共に附載。


作品




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