「原坦山」の版間の差分
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− | + | 文政2年10月18日陸奥国磐前郡平村生れ。明治25年7月27日歿。旧姓新井、諱覺仙、字坦山、幼名良作、号鶴巢。天保4年昌平坂学問所に入り儒学を修めた。11年多紀安叔塾で医術を学ぶ。弘化元年駒込吉祥寺の栴檀林、小石川伝通院学寮等で漢籍を講じた。のち発心して出家、京白川心照寺住職、転じて結城長徳寺住職。明治5年教部省教導職、更に大講義となるも、管長にその性情を嫌厭せられて曹洞宗の僧籍を奪われ、浅草で易者を営む。その後西本願寺法王[[大谷光尊]]の知遇を得、その名を学者貴顕の間に知られるに至った。11年総長[[加藤弘之]]の聘を受け、東京大学印度哲学科初代講師に任じ、翌年僧籍に復して相州最乗寺住職、18年学士院会員、24年曹洞宗大学林総監となる。 | |
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2021年4月19日 (月) 21:54時点における版
(はらたんざん)
基本情報
よみがな | はらたんざん |
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職業 | 僧侶 |
生年 | 1819 |
没年 | 1892 |
出生地 | 陸奥国磐前郡平村 |
別名 | 覺仙、坦山、良作、鶴巢 |
経歴
文政2年10月18日陸奥国磐前郡平村生れ。明治25年7月27日歿。旧姓新井、諱覺仙、字坦山、幼名良作、号鶴巢。天保4年昌平坂学問所に入り儒学を修めた。11年多紀安叔塾で医術を学ぶ。弘化元年駒込吉祥寺の栴檀林、小石川伝通院学寮等で漢籍を講じた。のち発心して出家、京白川心照寺住職、転じて結城長徳寺住職。明治5年教部省教導職、更に大講義となるも、管長にその性情を嫌厭せられて曹洞宗の僧籍を奪われ、浅草で易者を営む。その後西本願寺法王大谷光尊の知遇を得、その名を学者貴顕の間に知られるに至った。11年総長加藤弘之の聘を受け、東京大学印度哲学科初代講師に任じ、翌年僧籍に復して相州最乗寺住職、18年学士院会員、24年曹洞宗大学林総監となる。
作品
- 心性實驗録 一名西學辨解 ( 明治6年9月 學要舎藏版 淺倉久兵衛発売 ) → 「心性實驗録」をさがす
- 鶴巢集 ( 明治17年4月20日 佛仙社 ) → 「鶴巢集」をさがす
- 禪學心性實驗録 ( 荒木礒天編 明治40年2月22日 井冽堂 ) → 「禪學心性實驗録」をさがす