「宮島栗香」の版間の差分
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== 経歴 == | == 経歴 == | ||
+ | 天保9年7月20日出羽国米沢城下猪苗代片町生れ。明治44年3月15日歿。諱吉久、字伯恆、幼名熊藏、通称誠一郞、誠。別号八十八溪漁父、養浩堂。藩黌興譲館に学び、若くして助教となる。戊辰役の際、奥州同盟の建白書を得て朝廷に密奏で、藩の名分を貫いて兵禍を防いだ。明治3年侍詔院出仕、4年左院に転じて「立國憲議」(憲法草案)を提出、また内務省新設を建議。10年修史館御用掛、22年宮内照爵位局主事、29年貴族院議員等歴任。 | ||
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+ | 一方詩文を能くし、清朝公使何如璋、黎庶昌等隣邦人士と詩文を通じて親交。{{ruby|夙|つと}}に東亜問題の重要性を洞察、西南役後同志と興亜会を興して興亜学校を設立、大陸関係団体の先駆となった。漢詩集等の著書がある。画家[[宮島詠士]]の父。 | ||
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2024年7月12日 (金) 00:38時点における最新版
(みやじまりつか)
基本情報
よみがな | みやじまりっか |
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職業 | 漢詩人 |
生年 | 1838 |
没年 | 1911 |
出生地 | 出羽国米沢城下猪苗代片町 |
本名 | 宮島誠一郞 |
別名 | 吉久、伯恆、熊藏、誠一郞、誠。八十八溪漁父、養浩堂 |
経歴
天保9年7月20日出羽国米沢城下猪苗代片町生れ。明治44年3月15日歿。諱吉久、字伯恆、幼名熊藏、通称誠一郞、誠。別号八十八溪漁父、養浩堂。藩黌興譲館に学び、若くして助教となる。戊辰役の際、奥州同盟の建白書を得て朝廷に密奏で、藩の名分を貫いて兵禍を防いだ。明治3年侍詔院出仕、4年左院に転じて「立國憲議」(憲法草案)を提出、また内務省新設を建議。10年修史館御用掛、22年宮内照爵位局主事、29年貴族院議員等歴任。
一方詩文を能くし、清朝公使何如璋、黎庶昌等隣邦人士と詩文を通じて親交。
作品