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|本名=犬塚盛正、犬塚守政
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== 経歴 ==
 
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天保9年3月21日出羽国鶴岡生まれ。大正元年9月24日歿。諱盛正、のち守政、字施伯、幼名甚太郞・甚之助、通称又兵衞・又兵。前号椿園、蘭澤。藩黌致道館教授。明治18年以降師範、中学教員として各地を廻り、32年岡崎第二師範学校に赴任。41年辞職後東京に転居。晩年「國分史」を著わし、その宣伝と揮毫の旅の途次、岐阜県多治見の旅館で急逝。また妻錦子(天保9年生れ、明治34年歿)は[[海上胤平]]門の歌人。歌集『竈前集』を遺した。
 
天保9年3月21日出羽国鶴岡生まれ。大正元年9月24日歿。諱盛正、のち守政、字施伯、幼名甚太郞・甚之助、通称又兵衞・又兵。前号椿園、蘭澤。藩黌致道館教授。明治18年以降師範、中学教員として各地を廻り、32年岡崎第二師範学校に赴任。41年辞職後東京に転居。晩年「國分史」を著わし、その宣伝と揮毫の旅の途次、岐阜県多治見の旅館で急逝。また妻錦子(天保9年生れ、明治34年歿)は[[海上胤平]]門の歌人。歌集『竈前集』を遺した。

2024年6月28日 (金) 02:06時点における最新版

(いぬづかかんこ)


基本情報

よみがな いぬづかかんこ
職業 旧庄内藩儒、書家
生年 1838
没年 1912
出生地 出羽国鶴岡
本名 犬塚盛正、犬塚守政
別名 施伯、甚太郞・甚之助、又兵衞・又兵。椿園、蘭澤



経歴

天保9年3月21日出羽国鶴岡生まれ。大正元年9月24日歿。諱盛正、のち守政、字施伯、幼名甚太郞・甚之助、通称又兵衞・又兵。前号椿園、蘭澤。藩黌致道館教授。明治18年以降師範、中学教員として各地を廻り、32年岡崎第二師範学校に赴任。41年辞職後東京に転居。晩年「國分史」を著わし、その宣伝と揮毫の旅の途次、岐阜県多治見の旅館で急逝。また妻錦子(天保9年生れ、明治34年歿)は海上胤平門の歌人。歌集『竈前集』を遺した。


作品




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