「鷹見思水」の版間の差分
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− | 明治8年12月8日茨城県古河生れ。昭和20年11月3日歿。本名久太郞。別号止水。江戸後期の蘭学者[[鷹見泉石]]は曾祖父に当る。明治28年東京専門学校に入学。34年雑誌『明星』第11号に短歌十二首を発表、爾後雑誌『小柴舟』『文庫』『新古文林』等に新体詩、小説を発表、。39年[[國木田獨歩]]経営の獨歩社に入社、『近事畫報』の編集を担当。翌年獨歩社の倒産と同時に東京社を創設。『婦人畫報』の発行を継続した。大正11年[[倉橋惣三]]を編集顧問として『コドモノクニ』を創刊、[[北原白秋]]、[[野口雨情]]、[[ | + | 明治8年12月8日茨城県古河生れ。昭和20年11月3日歿。本名久太郞。別号止水。江戸後期の蘭学者[[鷹見泉石]]は曾祖父に当る。明治28年東京専門学校に入学。34年雑誌『明星』第11号に短歌十二首を発表、爾後雑誌『小柴舟』『文庫』『新古文林』等に新体詩、小説を発表、。39年[[國木田獨歩]]経営の獨歩社に入社、『近事畫報』の編集を担当。翌年獨歩社の倒産と同時に東京社を創設。『婦人畫報』の発行を継続した。大正11年[[倉橋惣三]]を編集顧問として『コドモノクニ』を創刊、[[北原白秋]]、[[野口雨情]]、[[中山晋平]]等も関わり、幼年雑誌の一大勢力となった。昭和6年東京社を退き、9年倉橋を顧問に子供の天地社を興し、『コドモノテンチ』を発刊。疎開先の郷里で死去。 |
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2023年11月12日 (日) 16:31時点における最新版
(たかみしすゐ)
基本情報
よみがな | たかみしすい |
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職業 | 編集者、詩人 |
生年 | 1875 |
没年 | 1945 |
出生地 | 茨城県古河 |
本名 | 鷹見久太郞 |
別名 | 鷹見止水 |
経歴
明治8年12月8日茨城県古河生れ。昭和20年11月3日歿。本名久太郞。別号止水。江戸後期の蘭学者鷹見泉石は曾祖父に当る。明治28年東京専門学校に入学。34年雑誌『明星』第11号に短歌十二首を発表、爾後雑誌『小柴舟』『文庫』『新古文林』等に新体詩、小説を発表、。39年國木田獨歩経営の獨歩社に入社、『近事畫報』の編集を担当。翌年獨歩社の倒産と同時に東京社を創設。『婦人畫報』の発行を継続した。大正11年倉橋惣三を編集顧問として『コドモノクニ』を創刊、北原白秋、野口雨情、中山晋平等も関わり、幼年雑誌の一大勢力となった。昭和6年東京社を退き、9年倉橋を顧問に子供の天地社を興し、『コドモノテンチ』を発刊。疎開先の郷里で死去。
作品
- 皇族畫報 ( 編―婦人畫報編輯局編 明治45年4月10日 東京社 ) → 「皇族畫報」をさがす
文献
- 国木田独歩の遺志継いだ東京社創業・編集者 鷹見久太郎 グラフィック誌により女性と子ども文化育てる『コドモノクニ』『少女画報』『婦人画報』と ( 鷹見本雄著 平成21年 鷹見本雄刊 ) → 「国木田独歩の遺志継いだ東京社創業・編集者 鷹見久太郎」をさがす