「吉田常夏」の版間の差分
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− | 明治22年4月25日東京(宮内省官舎武者小路邸)生れ。昭和13年10月29日歿。本名義寛(父の縁故による[[土方久元]]の命名)。筆名白河夜舟。本籍は山口県湯田、父の死に伴い帰郷。雑誌『少年世界』『文庫』等に投稿して[[河井醉茗]]に知られ、上京して食客となる。早稲田の高等師範科に入るも続かず。明治42年処女詩集の原稿、校正刷一切を火災で失って自殺未遂を起こした後、台湾航路の汽船で一年働く。のち[[齋藤弔花]]の世話で大阪の『日ノ出新聞』に入り、{{ruby|尋|つい}} | + | 明治22年4月25日東京(宮内省官舎武者小路邸)生れ。昭和13年10月29日歿。本名義寛(父の縁故による[[土方久元]]の命名)。筆名白河夜舟。本籍は山口県湯田、父の死に伴い帰郷。雑誌『少年世界』『文庫』等に投稿して[[河井醉茗]]に知られ、上京して食客となる。早稲田の高等師範科に入るも続かず。明治42年処女詩集の原稿、校正刷一切を火災で失って自殺未遂を起こした後、台湾航路の汽船で一年働く。のち[[齋藤弔花]]の世話で大阪の『日ノ出新聞』に入り、{{ruby|尋|つい}}で『大阪週報』に移る。大正2年雑誌『女子文壇』を改題した『處女』、翌年[[女子文壇社]]内樂文社の雑誌『うきよ』、更に『家庭生活』の編集に従事。その後、下関の関門日日新聞社で社会部長を務め、また文芸誌『燭臺』を創刊した。著書に『花街情話紅燈ロマンス』等の他、『地上聖話』『旅鞄の中より』『作者別勅選八代戀歌集』『詠進自在勅題朝晴雪』を編纂出版。[[女子文壇社]]時代に結婚した[[吉田靜代]]に、回想録『ひとつの流れ』がある。 |
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2023年10月6日 (金) 03:21時点における最新版
(よしだとこなつ)
基本情報
よみがな | よしだとこなつ |
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職業 | 詩人、雑誌編集者 |
生年 | 1889 |
没年 | 1938 |
出生地 | 東京(宮内省官舎武者小路邸) |
本名 | 吉田義寛 |
別名 | 白河夜舟 |
経歴
明治22年4月25日東京(宮内省官舎武者小路邸)生れ。昭和13年10月29日歿。本名義寛(父の縁故による土方久元の命名)。筆名白河夜舟。本籍は山口県湯田、父の死に伴い帰郷。雑誌『少年世界』『文庫』等に投稿して河井醉茗に知られ、上京して食客となる。早稲田の高等師範科に入るも続かず。明治42年処女詩集の原稿、校正刷一切を火災で失って自殺未遂を起こした後、台湾航路の汽船で一年働く。のち齋藤弔花の世話で大阪の『日ノ出新聞』に入り、
作品
- 花街情話 紅燈ロマンス ( 白河夜舟名 大正5年 四方堂 ) → 「花街情話 紅燈ロマンス」をさがす
- 地上聖話 ( 大正5年 四方堂 ) → 「地上聖話」をさがす
- 旅鞄の中より ( 大正6年7月12日 佐藤出版部 ) → 「旅鞄の中より」をさがす
- 作者別 勅撰八代戀歌集 ( 大正7年6月10日 東雲堂書店 ) → 「作者別 勅撰八代戀歌集」をさがす
- 詠進自在 勅題朝晴雪 ( 大正7年11月10日 東雲堂書店 ) → 「詠進自在 勅題朝晴雪」をさがす
文獻
- 回想録 ひとつの流れ ( 吉田靜代著 昭和52年9月20日 光風社書店 ) → 「ひとつの流れ」をさがす