「岡本柳之助」の版間の差分
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− | + | 嘉永5年8月江戸赤坂(和歌山藩邸)生れ。明治45年5月14日歿。旧姓諏訪、諱正德。号東光、濤山。藩校明倫館に学び、また洋式兵学、砲術を修めた。慶応3年江戸隊藩砲兵頭、明治4年砲兵連隊長、東京鎮台砲兵隊の創設に参画、7年砲兵大尉、西南役では大阪鎮台の参謀として活躍し少佐に進級。のち竹橋事件に連坐して官職剥奪。退役後は東亞問題に取り組み、朝鮮の軍事顧問となるなど半島で活動、三国干渉後新露政策に傾き親日勢力を弾圧した閔妃を斬殺した。上海で客死。 | |
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2022年4月24日 (日) 21:59時点における最新版
(をかもとりうのすけ)
基本情報
よみがな | おかもとりゅうのすけ |
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職業 | 軍人 |
生年 | 1852 |
没年 | 1912 |
出生地 | 江戸赤坂(和歌山藩邸) |
別名 | 正德、東光、濤山 |
経歴
嘉永5年8月江戸赤坂(和歌山藩邸)生れ。明治45年5月14日歿。旧姓諏訪、諱正德。号東光、濤山。藩校明倫館に学び、また洋式兵学、砲術を修めた。慶応3年江戸隊藩砲兵頭、明治4年砲兵連隊長、東京鎮台砲兵隊の創設に参画、7年砲兵大尉、西南役では大阪鎮台の参謀として活躍し少佐に進級。のち竹橋事件に連坐して官職剥奪。退役後は東亞問題に取り組み、朝鮮の軍事顧問となるなど半島で活動、三国干渉後新露政策に傾き親日勢力を弾圧した閔妃を斬殺した。上海で客死。
作品
- 政敎中正論 ( 明治32年11月27日 自刊 京都 村上書店 ) → 「政敎中正論」をさがす