「野崎廣義」の版間の差分
→ 日本の古本屋で本をさがす5行目: | 5行目: | ||
{{人物情報 | {{人物情報 | ||
|よみがな=のざきひろよし | |よみがな=のざきひろよし | ||
− | |職業= | + | |職業=哲学者 |
− | |生年= | + | |生年=1889 |
− | |没年= | + | |没年=1917 |
− | |出生地= | + | |出生地=富山県射水郡七美村 |
|本名= | |本名= | ||
− | |別名= | + | |別名=無窓 |
|}} | |}} | ||
---- | ---- | ||
== 経歴 == | == 経歴 == | ||
− | + | 明治22年4月8日富山県射水郡七美村生れ。大正6年6月17日歿。号無窓。第四高等学校を経て、大正2年京都帝国大学文科大学哲学科卒。大阪朝日新聞社入社も幾許もなく退社。その後智山勧学院大学、大谷大学講師。友人二人と散策中に心臓麻痺を起こし急逝。[[西田幾多郞]]門下で最も親炙した。 | |
---- | ---- | ||
== 作品 == | == 作品 == | ||
21行目: | 21行目: | ||
{{作品| | {{作品| | ||
|冠称= | |冠称= | ||
− | |書名= | + | |書名=無窓遺稿 |
|接尾辞= | |接尾辞= | ||
|共著者名= | |共著者名= | ||
|別名= | |別名= | ||
|責任表示= | |責任表示= | ||
− | |刊行年= | + | |刊行年=大正9年7月30日 |
− | |出版社= | + | |出版社=京都 [[小笠原秀實]]編刊 |
+ | |}} | ||
+ | {{作品| | ||
+ | |冠称= | ||
+ | |書名=懺悔としての哲學 | ||
+ | |接尾辞= | ||
+ | |共著者名=[[高坂正顯]]、[[務臺理作]]編 | ||
+ | |別名= | ||
+ | |責任表示= | ||
+ | |刊行年=昭和17年9月20日 | ||
+ | |出版社=弘文堂書房 | ||
|}} | |}} | ||
== PDF == | == PDF == | ||
34行目: | 44行目: | ||
[[Category:人名辞典|のざきひろよし]] | [[Category:人名辞典|のざきひろよし]] | ||
− | [[Category: | + | [[Category:完了|のざきひろよし]] |
2021年8月28日 (土) 16:01時点における最新版
(のざきひろよし)
基本情報
よみがな | のざきひろよし |
---|---|
職業 | 哲学者 |
生年 | 1889 |
没年 | 1917 |
出生地 | 富山県射水郡七美村 |
別名 | 無窓 |
経歴
明治22年4月8日富山県射水郡七美村生れ。大正6年6月17日歿。号無窓。第四高等学校を経て、大正2年京都帝国大学文科大学哲学科卒。大阪朝日新聞社入社も幾許もなく退社。その後智山勧学院大学、大谷大学講師。友人二人と散策中に心臓麻痺を起こし急逝。西田幾多郞門下で最も親炙した。
作品
- 無窓遺稿 ( 大正9年7月30日 京都 小笠原秀實編刊 ) → 「無窓遺稿」をさがす
- 懺悔としての哲學 ( 高坂正顯、務臺理作編 昭和17年9月20日 弘文堂書房 ) → 「懺悔としての哲學」をさがす