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明治10年5月3日三重県津生れ。44年5月10日歿。本名尚。別号古柏艸堂主人、樂々坊。東京美術学校日本画科、次いで洋画科卒。また[[長江藤次郞]]に就きドイツ語を修む。明治35年[[金港堂書籍株式會社]]に画工として入るも殆ど絵筆を執らず、{{ruby|卻|かえ}}って雑誌「少年界」にお伽噺を書くなどした。この間、白馬会に作品を出品。翌年帝室博物館に転じて学究生活に入り、法隆寺時代の歴史を研究。時に、[[喜田貞吉]]、[[關野貞]]等の法隆寺再建論に加わり、罹災再建説を主張する喜田に対し、法隆寺罹災の{{ruby|條|くだり}}は「日本書紀」の錯簡とする菲再建で論駁。その後も雑誌「新佛敎」「史學雜誌」「考古界」「國華」等に順次論文発表。更に支那芸術史の研究に進むも、早逝。
 
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2022年5月3日 (火) 14:59時点における最新版

(ひらこたくれい)


基本情報

よみがな ひらこたくれい
職業 仏教美術史家、考古学者
生年 1877
没年 1911
出生地 三重県津
本名 平子尚
別名 古柏艸堂主人、樂々坊



経歴

明治10年5月3日三重県津生れ。44年5月10日歿。本名尚。別号古柏艸堂主人、樂々坊。東京美術学校日本画科、次いで洋画科卒。また長江藤次郞に就きドイツ語を修む。明治35年金港堂書籍株式會社に画工として入るも殆ど絵筆を執らず、かえ って雑誌「少年界」にお伽噺を書くなどした。この間、白馬会に作品を出品。翌年帝室博物館に転じて学究生活に入り、法隆寺時代の歴史を研究。時に、喜田貞吉關野貞等の法隆寺再建論に加わり、罹災再建説を主張する喜田に対し、法隆寺罹災のくだり は「日本書紀」の錯簡とする菲再建で論駁。その後も雑誌「新佛敎」「史學雜誌」「考古界」「國華」等に順次論文発表。更に支那芸術史の研究に進むも、早逝。


作品





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