「田能村直入」の版間の差分
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+ | 文化11年2月15日豊後国生れ。明治40年1月21日歿。旧姓三宮、諱癡、字顧絶、幼名傳太。別号小虎、小虎散人、布袋庵、幽谷齋、忘齋、煙嵐深處主人、田癡、田癡小虎、百楳園主人、直入山下人、直入山中道仙居士、直入山樵、直入田癡、直入衜人、直入道人、竹翁、笠翁、臥午山下人、芋仙、蝙翁、醉茗、靑椀、飲茶庵、飲茶庵主、飲茶庵主人等。 | ||
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2024年11月15日 (金) 23:41時点における最新版
(たのむらちよくにふ)
基本情報
よみがな | たのむらちょくにゅう |
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職業 | 南画家 |
生年 | 1814 |
没年 | 1907 |
出生地 | 豊後国 |
別名 | 癡、顧絶、傳太、小虎、小虎散人、布袋庵、幽谷齋、忘齋、煙嵐深處主人、田癡、田癡小虎、百楳園主人、直入山下人、直入山中道仙居士、直入山樵、直入田癡、直入衜人、直入道人、竹翁、笠翁、臥午山下人、芋仙、蝙翁、醉茗、靑椀、飲茶庵、飲茶庵主、飲茶庵主人 |
経歴
文化11年2月15日豊後国生れ。明治40年1月21日歿。旧姓三宮、諱癡、字顧絶、幼名傳太。別号小虎、小虎散人、布袋庵、幽谷齋、忘齋、煙嵐深處主人、田癡、田癡小虎、百楳園主人、直入山下人、直入山中道仙居士、直入山樵、直入田癡、直入衜人、直入道人、竹翁、笠翁、臥午山下人、芋仙、蝙翁、醉茗、靑椀、飲茶庵、飲茶庵主、飲茶庵主人等。
九歳の折田能村竹田の門に入って南画を学び、のち養子となる。諸国を遊歴後大阪で篠崎小竹、大鹽平八郞に文武を受く。明治10年京都博覧会開催に尽力。13年京都府画学校初代摂理、24年南宋画学校を創立。29年日本南画協会設立に参画。
作品
- 墨池淸鑑 全十冊 ( 編 水原梅屋書 田能村小虎名 明治14年4月 大阪 柳原喜兵衞 前川源七刊 ) → 「墨池淸鑑」をさがす
- 汲古山泉 全二冊 ( 直入山樵・田能邨小乕名 明治23年3月11日 大阪 淸泉堂 ) → 「汲古山泉」をさがす
- 直入居士妙蹟集 ( 田能村小篁編 ニ套 三編四編 明治42年1月20日 畫神堂蔵版 新発田三秀軒 芸艸堂合名會社 ) → 「直入居士妙蹟集」をさがす