「大山雲峯」の版間の差分
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+ | 明治14年1月24日岡山県津山生れ。昭和9年2月11日歿。本名覺藏、幼名該三。別号綘雲、血來山人。明治25年高山家に入り、大正9年生家に復帰するまで高山姓であったため、後年高山覺藏の名で語られることが多い。明治34年大阪日報社に入社。37年反省社に転じて、翌年『中央公論』編集主任となり文芸欄を設置、その後の該誌発展の素地を作った。爾来國民新聞社、京城日報社、東京朝日新聞社等を経て、昭和8年大阪時事新報社入社、一貫して操觚に従事した。『雲峯遺文』には、[[德富蘇峰]]、[[幸田露伴]]、[[杉村楚人冠]]等が序を寄せた。 | ||
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2023年11月9日 (木) 23:11時点における最新版
(おほやまうんぽう)
基本情報
よみがな | おおやまうんぽう |
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職業 | 新聞記者 |
生年 | 1881 |
没年 | 1934 |
出生地 | 岡山県津山 |
本名 | 大山覺藏 |
別名 | 該三。綘雲、血來山人、高山覺藏 |
経歴
明治14年1月24日岡山県津山生れ。昭和9年2月11日歿。本名覺藏、幼名該三。別号綘雲、血來山人。明治25年高山家に入り、大正9年生家に復帰するまで高山姓であったため、後年高山覺藏の名で語られることが多い。明治34年大阪日報社に入社。37年反省社に転じて、翌年『中央公論』編集主任となり文芸欄を設置、その後の該誌発展の素地を作った。爾来國民新聞社、京城日報社、東京朝日新聞社等を経て、昭和8年大阪時事新報社入社、一貫して操觚に従事した。『雲峯遺文』には、德富蘇峰、幸田露伴、杉村楚人冠等が序を寄せた。
作品
- 雲峯遺文 ( 昭和10年2月 大山斐瑳麿跋 無刊記 ) → 「雲峯遺文」をさがす