「阿川鐵膽」の版間の差分
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− | + | 元治元年長門国萩生れ。明治33年7月30日歿。郷儒[[馬島春海]]に就て漢学を修め、福岡に遊学。上京して同県人[[手塚猛昌]]経営の庚寅新誌社に入社、のちに<兄弟も{{ruby|啻|ただ}}ならざる交情を結んだ>[[石川半山]]と出会う。明治26年社を辞して渡清、北方事情を視察して「支那実見録」を庚寅新誌に寄稿。更に香港を経て {{ruby|暹羅|シャム}}(現タイ国)のバンコックに渡り、半山の国内での奔走もあって、[[品川彌二郞]]、資本家[[森村市左衞門]]等の賛同を得、同地に圖南商会を設立した。また暹羅事情紹介のため商会名義で「暹羅王國」(明治30年刊)を半山と共編。32年暹羅内地探検を試み、「暹羅東海巡遊記」を「東京毎日新聞」に連載。引き続き{{ruby|馬来|マレー}}半島探検中、病を獲て歿し、{{ruby|新嘉玻|シンガポール}}スラングーンの日本人共同墓地に葬られた。歿後十年、半山篇「鐵膽阿川太良」が出版せられ、前記紀行二編の他(自叙伝とも見る)(半山序)書簡40通を収録。 | |
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2020年11月26日 (木) 17:11時点における最新版
(あがはてつたん)
基本情報
よみがな | あがわてったん |
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職業 | 貿易業者 |
生年 | 1864 |
没年 | 1900 |
出生地 | 長門国萩 |
本名 | 阿川太良 |
経歴
元治元年長門国萩生れ。明治33年7月30日歿。郷儒馬島春海に就て漢学を修め、福岡に遊学。上京して同県人手塚猛昌経営の庚寅新誌社に入社、のちに<兄弟も
作品
- 鐵膽阿川太良 ( 石川半山編 明治43年6月23日 平井茂一刊 ) → 「鐵膽阿川太良」をさがす