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明治38年7月17日福島県岩瀬郡須賀川町生れ。昭和23年12月9日歿。筆名島木和夫、宮城みち子。大正15年山形師範学校本科卒。次いで昭和3年専科卒。この間、山形童謡協会を創設し、雑誌『童謠』を創刊。4年[[國分一太郞]]、[[渡邊信八郞]]等と歌誌『にひたま』を創刊。翌年[[小砂丘忠義]]の雑誌『綴方生活』同人に推される。7年教員組合結成の{{ruby|廉|かど}}で検挙、起訴猶予となるも小学校教員を免職。翌年、『日刊山形』記者、のち学芸部長。10年日本国語教育連盟を結成し、機関誌『敎育・北日本』を創刊。また『生活童詩の理論と實踐』を著わし、翌年[[西原慶一]]の紹介で啓文社より出版するも、15年に至り発禁処分を受く。同時に生活綴方敎育弾圧で検挙、翌年治安維持法違反として実刑。戦後小学校教員に復職。山形県東村山郡教員組合委員長となる。22年[[須藤克三]]と歌誌『波紋』を創刊、更に宮城みち子の筆名で童話を書いた。
 
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2024年10月15日 (火) 19:55時点における最新版

(むらやましゆんたらう)


基本情報

よみがな むらやましゅんたろう
職業 生活綴方運動家、児童文学者、歌人
生年 1905
没年 1948
出生地 福島県岩瀬郡須賀川町
別名 島木和夫、宮城みち子



経歴

明治38年7月17日福島県岩瀬郡須賀川町生れ。昭和23年12月9日歿。筆名島木和夫、宮城みち子。大正15年山形師範学校本科卒。次いで昭和3年専科卒。この間、山形童謡協会を創設し、雑誌『童謠』を創刊。4年國分一太郞渡邊信八郞等と歌誌『にひたま』を創刊。翌年小砂丘忠義の雑誌『綴方生活』同人に推される。7年教員組合結成のかど で検挙、起訴猶予となるも小学校教員を免職。翌年、『日刊山形』記者、のち学芸部長。10年日本国語教育連盟を結成し、機関誌『敎育・北日本』を創刊。また『生活童詩の理論と實踐』を著わし、翌年西原慶一の紹介で啓文社より出版するも、15年に至り発禁処分を受く。同時に生活綴方敎育弾圧で検挙、翌年治安維持法違反として実刑。戦後小学校教員に復職。山形県東村山郡教員組合委員長となる。22年須藤克三と歌誌『波紋』を創刊、更に宮城みち子の筆名で童話を書いた。


作品




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