「石井周庵」の版間の差分
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− | + | 天保6年上総国山辺郡清名幸谷村生れ。明治36年9月5日歿。諱一素、通称音吉。書斎名白水草蘆。農家に生まれるも足疾あって農業を好まず、幼より学に志して[[三上是庵]]の門に入り、師の晩年まで随従。明治15年東京芝三田に卜居して時習学舎を開き、漢籍を教授。翌年同門の士と謀って道学協会を創設、機関誌『道學協會雜誌』全73号、次いで『道學雜誌』全63号を発刊。また「道學遺書」として先達の著書16種を刊行した。斯学の衰退、欧化思潮に抗した<山崎學(闇齋派)最後の碩學>([[池上幸二郞]])。「道學楷梯」2巻、「周庵雜錄」2巻、「周庵先生講義錄」2巻、「默齋先生小傳」2巻等の著述、門人家蔵すと。 | |
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2023年9月2日 (土) 21:47時点における最新版
(いしゐしうあん)
基本情報
よみがな | いしいしゅうあん |
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職業 | 儒者 |
生年 | 1835 |
没年 | 1903 |
出生地 | 上総国山辺郡清名幸谷村 |
別名 | 一素、音吉。白水草蘆 |
経歴
天保6年上総国山辺郡清名幸谷村生れ。明治36年9月5日歿。諱一素、通称音吉。書斎名白水草蘆。農家に生まれるも足疾あって農業を好まず、幼より学に志して三上是庵の門に入り、師の晩年まで随従。明治15年東京芝三田に卜居して時習学舎を開き、漢籍を教授。翌年同門の士と謀って道学協会を創設、機関誌『道學協會雜誌』全73号、次いで『道學雜誌』全63号を発刊。また「道學遺書」として先達の著書16種を刊行した。斯学の衰退、欧化思潮に抗した<山崎學(闇齋派)最後の碩學>(池上幸二郞)。「道學楷梯」2巻、「周庵雜錄」2巻、「周庵先生講義錄」2巻、「默齋先生小傳」2巻等の著述、門人家蔵すと。
文献
- 石井周庵先生傳 ( 田中健藏(田中蛇湖)撰 昭和11年7月1日 默齋學會蔵版 ) → 「石井周庵先生傳」をさがす