操作

「森盲天外」の版間の差分

→ 日本の古本屋で本をさがす
(1版 をインポートしました)
 
(同じ利用者による、間の5版が非表示)
4行目: 4行目:
  
 
{{人物情報
 
{{人物情報
|よみがな=もりまうてんぐわい
+
|よみがな=もりもうてんがい
|職業=
+
|職業=俳人
|生年=
+
|生年=1864
|没年=
+
|没年=1934
|出生地=
+
|出生地=伊予国
 
|本名=
 
|本名=
|別名=
+
|別名=忠孝、恒太郞。三樹、三樹のや、三樹堂、孤鶴、餘日庵
 
|}}
 
|}}
 
----
 
----
 
== 経歴 ==
 
== 経歴 ==
 +
がん次元年8月13日伊予国生れ。昭和9年4月7日歿。諱忠孝、通称恒太郞。別号三樹、三樹のや、三樹堂、孤鶴、餘日庵。明治9年愛媛県変則中学北予学校入学、14年上京して[[中村正直|中村敬宇]]の同人社本科に入る。帰郷後は村長、県会議員等の公職に就き地方振興に尽力。また眼疾を患い失明するも、40年私立愛媛盲唖学校を創設、大正12年には公民義塾天心園を興して社会教化に従事。一方早くから俳諧に親しみ、明治24年蕉影吟社を結成して俳誌『はせを影』を創刊主宰、[[正岡子規]]の投稿を得、句作の添削も受けた。
 +
----
  
----
 
 
== 作品 ==
 
== 作品 ==
  
21行目: 22行目:
 
{{作品|
 
{{作品|
 
|冠称=
 
|冠称=
|書名=
+
|書名=一粒米
 +
|接尾辞=
 +
|共著者名=
 +
|別名=
 +
|責任表示=
 +
|刊行年=明治41年6月13日
 +
|出版社=博文館
 +
|}}
 +
{{作品|
 +
|冠称=復刻増補版
 +
|書名=一粒米 
 +
|接尾辞=付、俳句俳論・天心園
 +
|共著者名=愛媛文学叢書刊行会編
 +
|別名=
 +
|責任表示=
 +
|刊行年=昭和52年10月15日
 +
|出版社=愛媛 青葉図書
 +
|シリーズ名=愛媛文学叢書
 +
|}}
 +
{{作品|
 +
|冠称=
 +
|書名=貯金道話
 
|接尾辞=
 
|接尾辞=
 
|共著者名=
 
|共著者名=
 
|別名=
 
|別名=
 
|責任表示=
 
|責任表示=
|刊行年=
+
|刊行年=明治43年5月15日
|出版社=
+
|出版社=丁未出版社
 
|}}
 
|}}
 +
{{作品|
 +
|冠称=
 +
|書名=愛媛縣溫泉郡 余土村治實驗談筆記
 +
|接尾辞=
 +
|共著者名=[[作田隆]]筆記
 +
|別名=
 +
|責任表示=
 +
|刊行年=明治44年9月15日
 +
|出版社=千葉 夷隅郡第二、第三、地主會
 +
|}}
 +
 +
 
== PDF ==
 
== PDF ==
 
[[file:20269.pdf|center|1000px]]
 
[[file:20269.pdf|center|1000px]]
34行目: 68行目:
  
 
[[Category:人名辞典|もりまうてんぐわい]]
 
[[Category:人名辞典|もりまうてんぐわい]]
[[Category:未着手|もりまうてんぐわい]]
+
[[Category:完了|もりまうてんぐわい]]

2024年3月6日 (水) 21:02時点における最新版

(もりまうてんぐわい)


基本情報

よみがな もりもうてんがい
職業 俳人
生年 1864
没年 1934
出生地 伊予国
別名 忠孝、恒太郞。三樹、三樹のや、三樹堂、孤鶴、餘日庵



経歴

がん次元年8月13日伊予国生れ。昭和9年4月7日歿。諱忠孝、通称恒太郞。別号三樹、三樹のや、三樹堂、孤鶴、餘日庵。明治9年愛媛県変則中学北予学校入学、14年上京して中村敬宇の同人社本科に入る。帰郷後は村長、県会議員等の公職に就き地方振興に尽力。また眼疾を患い失明するも、40年私立愛媛盲唖学校を創設、大正12年には公民義塾天心園を興して社会教化に従事。一方早くから俳諧に親しみ、明治24年蕉影吟社を結成して俳誌『はせを影』を創刊主宰、正岡子規の投稿を得、句作の添削も受けた。


作品



  • 復刻増補版  一粒米   付、俳句俳論・天心園 (  愛媛文学叢書刊行会編  昭和52年10月15日  愛媛 青葉図書  <愛媛文学叢書> ) → 「一粒米 」をさがす





PDF

20269.pdf

PDFファイルを別ウィンドウで開く


参考ページ