「坂田警軒」の版間の差分
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2023年8月4日 (金) 22:17時点における最新版
(さかたけいけん)
基本情報
よみがな | さかたけいけん |
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職業 | 漢学者 |
生年 | 1839 |
没年 | 1899 |
出生地 | 備中国川上郡九名村 |
別名 | 丈、天卿、丈助、丈平、阪田丈、阪田丈平。九邨、警軒小史、警軒散人、警軒潛夫 |
経歴
天保10年5月5日備中国川上郡九名村生れ。明治32年8月15日歿。諱丈、字天卿、通称丈助、のち丈平、また阪田丈、阪田丈平とも署す。別号九邨、警軒小史、警軒散人、警軒潛夫など。阪田朗廬の甥。嘉永6年朗盧の郷黌興讓館主となるに従い入学、都講に至る。蔓延中肥後の木下犀潭に入門、井上毅、竹添井井と共に木門三才子と称せられた。更に江戸に赴き安井息軒に学ぶ。備前藩老池田氏の賓師を経て、明治元年朗盧の後を承け興讓館館長となる。12年県議会議員、次いで議長、23年衆議院議員。この間、閑谷黌、同志社で教え、その後も慶應義塾、高等師範学校、斯文学会、哲学館等の講師を務めた。『警軒文鈔』がある他、『朗廬文鈔』全三冊を編纂刊行。
作品
- 警軒文鈔 ( 明治38年 ) → 「警軒文鈔」をさがす
- 朗廬文鈔 全三冊 ( 編纂 明治18年11月 阪谷次雄出版 吉川半七・須原鐵二・博聞社発売 ) → 「朗廬文鈔」をさがす