「寺田勇吉」の版間の差分
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− | + | 嘉永6年6月12日江戸四ツ谷生れ。大正10年10月11日歿。幼名二郞。幕臣高吉の次男。文久2年昌平坂学問所に入り漢学を学ぶ。慶応4年彰義隊に加わり、勇吉と改名。明治4年大学南校、東京開成学校でドイツ学、鉱山学を修む。8年工部省雇ドイツ人ビアンキに就き更に鉱山学を学ぶ。11年太政官出仕、14年統計院に転じ、翌年専修学校で統計学を教授。その後、共立統計學校教授、独逸協会教授、文部省御用掛、東京外国語学校教員、第一高等学校教授、東京高等商業学校校長等歴任。38年精華学校、次いで九段精華高等女学校を創立して校長となる。 | |
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2024年10月20日 (日) 23:11時点における最新版
(てらだゆうきち)
基本情報
よみがな | てらだゆうきち |
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職業 | ドイツ語学者、統計学者 |
生年 | 1853 |
没年 | 1921 |
出生地 | 江戸四ツ谷 |
経歴
嘉永6年6月12日江戸四ツ谷生れ。大正10年10月11日歿。幼名二郞。幕臣高吉の次男。文久2年昌平坂学問所に入り漢学を学ぶ。慶応4年彰義隊に加わり、勇吉と改名。明治4年大学南校、東京開成学校でドイツ学、鉱山学を修む。8年工部省雇ドイツ人ビアンキに就き更に鉱山学を学ぶ。11年太政官出仕、14年統計院に転じ、翌年専修学校で統計学を教授。その後、共立統計學校教授、独逸協会教授、文部省御用掛、東京外国語学校教員、第一高等学校教授、東京高等商業学校校長等歴任。38年精華学校、次いで九段精華高等女学校を創立して校長となる。
作品
- 獨和英 三對小字彙 ( 保志虎吉共著 明治26年9月30日 共同館 ) → 「獨和英 三對小字彙」をさがす
- 寺田勇吉經瀝談 ( 大正8年5月5日 精華學校 ) → 「寺田勇吉經瀝談」をさがす