「和田準然」の版間の差分
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+ | これより{{ruby|曩|さき}}、大津事件の折の憂国婦人[[畠山勇子]]を埋葬した寺の住職としてその顕彰にも尽力、最初の『畠山勇子傳』を出版した。また勇子の義心を海外に伝えた[[小泉八雲]]、モラエスとも交渉を{{ruby|有|も}}ったという。 | ||
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2023年1月20日 (金) 22:12時点における最新版
(わだじゆんねん)
基本情報
よみがな | わだじゅんねん |
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職業 | 僧侶 |
生年 | 1853 |
没年 | 1918 |
出生地 | 尾張国布袋 |
別名 | 法空。界中山人、龍山人、岩田輿三次郞 |
経歴
嘉永6年9月尾張国布袋生れ。大正7年1月28日歿。諱法空。号界中山人、龍山人、旧名岩田輿三次郞。末慶寺和田準正の養子となり、明治13年後を承けて住職。19年総本山禅林寺に入り、永く宗政に参与。30年頃各宗有志と興隆仏法会を興し、機関誌『興隆』を創刊。
これより
作品
- 畠山勇子傳 ( 編輯 明治25年4月27日出版届 末慶寺蔵版 ) → 「畠山勇子傳」をさがす