「津田出」の版間の差分
→ 日本の古本屋で本をさがす4行目: | 4行目: | ||
{{人物情報 | {{人物情報 | ||
− | |よみがな= | + | |よみがな=つだいずる |
− | |職業= | + | |職業=蘭学者、官僚 |
− | |生年= | + | |生年=1832 |
− | |没年= | + | |没年=1905 |
− | |出生地= | + | |出生地=紀伊国 |
|本名= | |本名= | ||
− | |別名= | + | |別名=茂一郞、又太郞、芝山 |
|}} | |}} | ||
---- | ---- | ||
== 経歴 == | == 経歴 == | ||
− | + | 天保3年3月紀伊国生れ。明治38年6月2日歿。幼名茂一郞、通称又太郞。号芝山。安政元年江戸で蘭学を学び、帰藩後文武館蘭学教授、のち郷里で私塾を開いた。その後御小姓に抜擢せられ、維新後は和歌山藩大参事となり、藩制改革に当った。また兵制の改革に努め、砲騎歩工の四寮を設け、軍務局を以て統率せしめるなど、徴兵制じっちの始祖として名を残す。廃藩後大蔵少輔、陸軍大輔、元老院議官、貴族院議員等歴任。晩年大農論を唱えて千葉の原野開墾に従事。[[陸奥宗光]]はその高足。「壺碑 津田出小傳」は遺稿を含む。 | |
---- | ---- | ||
== 作品 == | == 作品 == | ||
21行目: | 21行目: | ||
{{作品| | {{作品| | ||
|冠称= | |冠称= | ||
− | |書名= | + | |書名=壺碑 津田出小傳 |
|接尾辞= | |接尾辞= | ||
− | |共著者名= | + | |共著者名=[[津田道太郞]]編 |
|別名= | |別名= | ||
|責任表示= | |責任表示= | ||
− | |刊行年= | + | |刊行年=大正6年12月25日 |
− | |出版社= | + | |出版社=青木藤作刊 |
|}} | |}} | ||
== PDF == | == PDF == | ||
34行目: | 34行目: | ||
[[Category:人名辞典|つだいづる]] | [[Category:人名辞典|つだいづる]] | ||
− | [[Category: | + | [[Category:完了|つだいづる]] |
+ | [[Category:蘭学者|つだいづる]] | ||
+ | [[Category:官僚|つだいづる]] |
2022年7月5日 (火) 20:52時点における最新版
(つだいづる)
基本情報
よみがな | つだいずる |
---|---|
職業 | 蘭学者、官僚 |
生年 | 1832 |
没年 | 1905 |
出生地 | 紀伊国 |
別名 | 茂一郞、又太郞、芝山 |
経歴
天保3年3月紀伊国生れ。明治38年6月2日歿。幼名茂一郞、通称又太郞。号芝山。安政元年江戸で蘭学を学び、帰藩後文武館蘭学教授、のち郷里で私塾を開いた。その後御小姓に抜擢せられ、維新後は和歌山藩大参事となり、藩制改革に当った。また兵制の改革に努め、砲騎歩工の四寮を設け、軍務局を以て統率せしめるなど、徴兵制じっちの始祖として名を残す。廃藩後大蔵少輔、陸軍大輔、元老院議官、貴族院議員等歴任。晩年大農論を唱えて千葉の原野開墾に従事。陸奥宗光はその高足。「壺碑 津田出小傳」は遺稿を含む。
作品
- 壺碑 津田出小傳 ( 津田道太郞編 大正6年12月25日 青木藤作刊 ) → 「壺碑 津田出小傳」をさがす