「小川渉」の版間の差分
→ 日本の古本屋で本をさがす4行目: | 4行目: | ||
{{人物情報 | {{人物情報 | ||
− | |よみがな= | + | |よみがな=おがわわたる |
− | |職業= | + | |職業=歴史家 |
− | |生年= | + | |生年=1843 |
− | |没年= | + | |没年=1907 |
− | |出生地= | + | |出生地=陸奥国会津(日清館官房) |
|本名= | |本名= | ||
− | |別名= | + | |別名=常矩、德次郞、外浦、雪佛、今井恭介 |
|}} | |}} | ||
---- | ---- | ||
== 経歴 == | == 経歴 == | ||
− | + | 天保14年7月22日陸奥国会津(日清館官房)生れ。明治40円2月5日歿。諱常矩、幼名德次郞、渉は通称。号外浦、雪佛。日清館に学び、のち江戸で昌平坂学問所に入る。戊辰時東海道探偵を命ぜられるなど奔走。事終り新潟に赴き、明治3年6月までオランダ人カステルの家に潜居、蘭学及び英学を学ぶ。また西洋事情研究の傍らイギリス人アーネスト・サトウに日本語を授業。当時今井恭介の変名を使っていたという。廃藩後は青森県に出仕、8年辭して北斗新聞社を興して社主となる一方、青森県会書記も務めた。22年会津に帰り、「會津藩敎育考」等の著述に従事。 | |
---- | ---- | ||
== 作品 == | == 作品 == | ||
21行目: | 21行目: | ||
{{作品| | {{作品| | ||
|冠称= | |冠称= | ||
− | |書名= | + | |書名=會津藩敎育考 |
|接尾辞= | |接尾辞= | ||
|共著者名= | |共著者名= | ||
|別名= | |別名= | ||
|責任表示= | |責任表示= | ||
− | |刊行年= | + | |刊行年=昭和6年 |
− | |出版社= | + | |出版社=會津藩敎育考發行會 |
|}} | |}} | ||
+ | {{作品| | ||
+ | |冠称=歴史隋筆 | ||
+ | |書名=志ぐれ草紙 | ||
+ | |接尾辞= | ||
+ | |共著者名= | ||
+ | |別名= | ||
+ | |責任表示= | ||
+ | |刊行年=昭和10年9月28日 | ||
+ | |出版社=飯沼關彌刊 | ||
+ | |}} | ||
+ | |||
== PDF == | == PDF == | ||
[[file:20333.pdf|center|1000px]] | [[file:20333.pdf|center|1000px]] | ||
34行目: | 45行目: | ||
[[Category:人名辞典|をがはわたる]] | [[Category:人名辞典|をがはわたる]] | ||
− | [[Category: | + | [[Category:完了|をがはわたる]] |
2022年1月10日 (月) 18:58時点における最新版
(をがはわたる)
基本情報
よみがな | おがわわたる |
---|---|
職業 | 歴史家 |
生年 | 1843 |
没年 | 1907 |
出生地 | 陸奥国会津(日清館官房) |
別名 | 常矩、德次郞、外浦、雪佛、今井恭介 |
経歴
天保14年7月22日陸奥国会津(日清館官房)生れ。明治40円2月5日歿。諱常矩、幼名德次郞、渉は通称。号外浦、雪佛。日清館に学び、のち江戸で昌平坂学問所に入る。戊辰時東海道探偵を命ぜられるなど奔走。事終り新潟に赴き、明治3年6月までオランダ人カステルの家に潜居、蘭学及び英学を学ぶ。また西洋事情研究の傍らイギリス人アーネスト・サトウに日本語を授業。当時今井恭介の変名を使っていたという。廃藩後は青森県に出仕、8年辭して北斗新聞社を興して社主となる一方、青森県会書記も務めた。22年会津に帰り、「會津藩敎育考」等の著述に従事。
作品
- 會津藩敎育考 ( 昭和6年 會津藩敎育考發行會 ) → 「會津藩敎育考」をさがす
- 歴史隋筆 志ぐれ草紙 ( 昭和10年9月28日 飯沼關彌刊 ) → 「志ぐれ草紙」をさがす