「近衞文麿」の版間の差分
→ 日本の古本屋で本をさがす (→作品) |
|||
65行目: | 65行目: | ||
|書名=武士道の神髓 | |書名=武士道の神髓 | ||
|接尾辞= | |接尾辞= | ||
− | |共著者名=[[蜷川龍夫]]、[[福島政雄]]、[[武田祐吉]]、[[渡邊世祐]]、[[鈴木大拙]]、[[吉田靜致]]、[[平泉澄]]、[[菊池寛]]、[[ | + | |共著者名=[[蜷川龍夫]]、[[福島政雄]]、[[武田祐吉]]、[[渡邊世祐]]、[[鈴木大拙]]、[[吉田靜致]]、[[平泉澄]]、[[菊池寛]]、[[淸原貞雄]]、[[乙竹岩造]]、[[廣瀨豐]]、[[野村八良]]、[[荒木貞夫]]、[[高木武]]、合著 [[武士道學會]]編 |
|別名= | |別名= | ||
|責任表示= | |責任表示= | ||
111行目: | 111行目: | ||
|出版社=共同通信社開発局 | |出版社=共同通信社開発局 | ||
|}} | |}} | ||
+ | |||
== 文獻 == | == 文獻 == | ||
2021年8月7日 (土) 15:06時点における版
(このゑふみまろ)
基本情報
よみがな | このえふみまろ |
---|---|
職業 | 政治家 |
生年 | 1891 |
没年 | 1945 |
出生地 | 東京 |
別名 | 虎山 |
経歴
明治24年10月12日東京生れ。昭和20年12月16日歿。近衛篤麿の長男。大正5年貴族院議員、7年京都帝国大学法科大学政治学科卒。昭和8年貴族院議長、二・二六事件直後の組閣の大命を拝受、12年近衛内閣発足。14年枢密院議長。翌年新体制運動を組織して第二次内閣組閣、大政翼賛会を設立して三国同盟を締結。16年3月第三次組閣も10月総辞職。戦後戦犯容疑者使命を受け服毒自殺。号虎山。
作品
- 上院と政治 ( 大正13年12月25日 日本讀書協會事務所 ) → 「上院と政治」をさがす
- 貴族院改革と現行制度の運用 ( 昭和2年12月22日 民友社 <国民パンフレツト> ) → 「貴族院改革と現行制度の運用」をさがす
- 日支兩國の識者に望む遍く東亞の同志に愬ふ ( 岡部長景合著 昭和12年4月15日 東亞同文會 ) → 「日支兩國の識者に望む遍く東亞の同志に愬ふ」をさがす
- 名士縦横談 ( 合著 淵田忠良編 昭和15年8月10日 大日本雄辯會講談社 <キング文庫> ) → 「名士縦横談」をさがす
- 武士道の神髓 ( 蜷川龍夫、福島政雄、武田祐吉、渡邊世祐、鈴木大拙、吉田靜致、平泉澄、菊池寛、淸原貞雄、乙竹岩造、廣瀨豐、野村八良、荒木貞夫、高木武、合著 武士道學會編 昭和16年11月11日 帝國書籍協會 ) → 「武士道の神髓」をさがす
- 手記 最後の御前會議 對照篇 ”降伏時の眞相”迫水久常 ( 昭和21年2月20日 時局月報社 「自由國民」第19巻第2号 特輯 ) → 「最後の御前會議 對照篇 ”降伏時の眞相”迫水久常」をさがす
- 手記 平和への努力 ( 昭和21年4月1日 日本電報通信社 ) → 「平和への努力」をさがす
- 手記 失はれし政治 ( 昭和21年5月15日 朝日新聞社 ) → 「失はれし政治」をさがす
- 近衞日記 ( 共同通信社「近衞日記」編集委員会編 昭和43年3月30日 共同通信社開発局 ) → 「近衞日記」をさがす
文獻
- 非常時局にたつ近衞公 ( 福岡醇祐編著 昭和12年10月5日 東京閣 ) → 「非常時局にたつ近衞公」をさがす
- 近衞公に愬ふ ( 高坂沐溪著 昭和15年11月15日 東亞敎育出版社 ) → 「近衞公に愬ふ」をさがす