「尾高高雅」の版間の差分
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− | + | 文久9年6月8日佐渡生まれ。明治20年6月20日歿。旧姓堀口、小山、幼名市太郞、通称俊助、富藏、富太郞。号梔園。11歳で佐渡奉行の書記となる。和歌を好み、若くして近傍に歌人として聞こえた。のち江戸に出て[[凊水濱臣]]に学び、次いで上洛して[[大江廣海]]に師事。更に諸国を巡歴して天保13年武州川越に家塾を開いた。藩主[[松平直克]]に知られ歌道師範となる。慶応3年藩主と共に前橋に移り、累進して郡奉行、権少参事、藩政にも参与。維新後権典事に任じたが、程なく辞して歌道に専念。 | |
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2021年7月18日 (日) 17:14時点における版
(をだかたかまさ)
基本情報
よみがな | おだかたかまさ |
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職業 | 歌人 |
生年 | 1812 |
没年 | 1887 |
出生地 | 佐渡 |
別名 | 市太郞、俊助、富藏、富太郞、梔園 |
経歴
文久9年6月8日佐渡生まれ。明治20年6月20日歿。旧姓堀口、小山、幼名市太郞、通称俊助、富藏、富太郞。号梔園。11歳で佐渡奉行の書記となる。和歌を好み、若くして近傍に歌人として聞こえた。のち江戸に出て凊水濱臣に学び、次いで上洛して大江廣海に師事。更に諸国を巡歴して天保13年武州川越に家塾を開いた。藩主松平直克に知られ歌道師範となる。慶応3年藩主と共に前橋に移り、累進して郡奉行、権少参事、藩政にも参与。維新後権典事に任じたが、程なく辞して歌道に専念。
作品
- 歌集 梔園詠草拾遺 ( 櫻園豪尊編 明治31年8月5日 群馬 尾高安次郞刊 ) → 「梔園詠草拾遺」をさがす