操作

「ガントレツト恒」の版間の差分

→ 日本の古本屋で本をさがす
50行目: 50行目:
 
|出版社=社会教育協会
 
|出版社=社会教育協会
 
|シリーズ名=婦人講座
 
|シリーズ名=婦人講座
 +
|}}
 +
{{作品|
 +
|冠称=
 +
|書名=わが母を語る
 +
|接尾辞=
 +
|共著者名=[[吉岡彌生]]、[[石川武美]]、[[伊東深水]]、[[市川猿之助]]、[[石本靜枝]]、[[石井柏亭]]、[[今井邦子]]、[[鳩山一郞]]、[[西村伊作]]、[[佐藤鼎夫人]]、[[大田爲吉]]、[[大森洪太]]、[[岡本かの子]]、[[河東碧梧桐]]、[[風見章]]、[[嘉悦孝子]]、[[加藤松香]]、[[川村文子]]、[[神近市子]]、[[田口弼一]]、[[竹内茂代]]、[[俵孫一]]、[[相馬黑光]]、[[永島雄治]]、[[中村吉右衞門]]、[[山川菊榮]]、[[牧田環]]、[[前田米藏]]、[[眞山靑果]]、[[牧野良三]]、[[五島慶太]]、[[高良富子]]、[[安藤謙藏]]、[[朝倉文夫]]、[[淺野良三]]、[[杵屋勝五郞]]、[[三谷民子]]、[[森律子]]、[[藤原銀次郞]]、[[宮本百合子]]、[[鈴木孝雄]]、[[加藤タカ]]、[[富田幸次郞]]、[[三田村鳶魚]]、[[守屋東]]、[[三浦環]]、[[德富猪一郞]]、[[三輪田元道]]、[[秋田雨雀]]、[[赤松常子]]、[[河口愛子]]、[[山室民子]]、[[山本英輔]]、[[松波仁一郞]]、[[加藤武男]]、[[大妻コタカ]]、[[樺島千春]]、[[吉田晴風]]、[[押川如水]]、[[伍堂卓雄]]、[[鈴木祥枝]]合著 [[家庭新聞社編輯局]]-[[新妻伊都子]]編
 +
|別名=
 +
|責任表示=
 +
|刊行年=昭和16年11月2日
 +
|出版社=家庭新聞社出版部
 
|}}
 
|}}
 
{{作品|
 
{{作品|
61行目: 71行目:
 
|出版社=植村書店
 
|出版社=植村書店
 
|}}
 
|}}
 +
 
== 文献 ==
 
== 文献 ==
  

2021年5月22日 (土) 15:48時点における版

(がんとれつとつね)


基本情報

よみがな がんとれっとつね
職業 女子教育家、社会事業家
生年 1873
没年 1953
出生地 愛知県
別名 岸登恒



経歴

明治6年10月26日愛知県碧海郡箕輪村生れ。昭和28年11月29日歿。旧姓山田。作曲家山田耕筰はその弟。櫻井女学院を了へ、女子学院に入るも高等部二年の時に退く。英語の教員検定試験前期を受けて合格し、宇都宮の女子学院分校に赴任。次いで前橋の共愛女学校に奉職。傍ら女子宣教師パミリーの巡回伝道に通訳として同行。明治31年東洋英和学校の英語教師エドワード・ガントレットと結婚して英国籍となり、外国人妻として法的に正式な手続きをした最初の国際結婚ともなった。34年夫の第六高等学校赴任に伴い岡山に移り、自らは山陽高等女学校の英語教師に就く。日露戦争中、岡山の婦人会で浴衣から作って売り出した割烹着の考案者となった。夙に日本基督教婦人矯風会会員として活動、各種の国際会議に代表列席するなど、久布白落実守屋東と共に矯風会三羽烏の一人として知られた。昭和15年夫と共に日本に帰化。岸登恒とも称す。21年以降矯風会会頭を務める。


作品







文献



PDF

17899.pdf

PDFファイルを別ウィンドウで開く


参考ページ