操作

「寺田勇吉」の版間の差分

→ 日本の古本屋で本をさがす
(1版 をインポートしました)
 
(同じ利用者による、間の1版が非表示)
5行目: 5行目:
 
{{人物情報
 
{{人物情報
 
|よみがな=てらだゆうきち
 
|よみがな=てらだゆうきち
|職業=
+
|職業=ドイツ語学者、統計学者
|生年=
+
|生年=1853
|没年=
+
|没年=1921
|出生地=
+
|出生地=江戸四ツ谷
 
|本名=
 
|本名=
 
|別名=
 
|別名=
14行目: 14行目:
 
----
 
----
 
== 経歴 ==
 
== 経歴 ==
 
+
嘉永6年6月12日江戸四ツ谷生れ。大正10年10月11日歿。幼名二郞。幕臣高吉の次男。文久2年昌平坂学問所に入り漢学を学ぶ。慶応4年彰義隊に加わり、勇吉と改名。明治4年大学南校、東京開成学校でドイツ学、鉱山学を修む。8年工部省雇ドイツ人ビアンキに就き更に鉱山学を学ぶ。11年太政官出仕、14年統計院に転じ、翌年専修学校で統計学を教授。その後、共立統計學校教授、独逸協会教授、文部省御用掛、東京外国語学校教員、第一高等学校教授、東京高等商業学校校長等歴任。38年精華学校、次いで九段精華高等女学校を創立して校長となる。
 
----
 
----
 
== 作品 ==
 
== 作品 ==
21行目: 21行目:
 
{{作品|
 
{{作品|
 
|冠称=
 
|冠称=
|書名=
+
|書名=獨和英 三對小字彙
 +
|接尾辞=
 +
|共著者名=[[保志虎吉]]共著
 +
|別名=
 +
|責任表示=
 +
|刊行年=明治26年9月30日
 +
|出版社=共同館
 +
|}}
 +
{{作品|
 +
|冠称=
 +
|書名=寺田勇吉經瀝談
 
|接尾辞=
 
|接尾辞=
 
|共著者名=
 
|共著者名=
 
|別名=
 
|別名=
 
|責任表示=
 
|責任表示=
|刊行年=
+
|刊行年=大正8年5月5日
|出版社=
+
|出版社=精華學校
 
|}}
 
|}}
 +
 
== PDF ==
 
== PDF ==
 
[[file:15440.pdf|center|1000px]]
 
[[file:15440.pdf|center|1000px]]
34行目: 45行目:
  
 
[[Category:人名辞典|てらだゆうきち]]
 
[[Category:人名辞典|てらだゆうきち]]
[[Category:未着手|てらだゆうきち]]
+
[[Category:完了|てらだゆうきち]]
 +
[[Category:ドイツ語学者|てらだゆうきち]]
 +
[[Category:統計学者|てらだゆうきち]]

2024年10月20日 (日) 23:11時点における最新版

(てらだゆうきち)


基本情報

よみがな てらだゆうきち
職業 ドイツ語学者、統計学者
生年 1853
没年 1921
出生地 江戸四ツ谷



経歴

嘉永6年6月12日江戸四ツ谷生れ。大正10年10月11日歿。幼名二郞。幕臣高吉の次男。文久2年昌平坂学問所に入り漢学を学ぶ。慶応4年彰義隊に加わり、勇吉と改名。明治4年大学南校、東京開成学校でドイツ学、鉱山学を修む。8年工部省雇ドイツ人ビアンキに就き更に鉱山学を学ぶ。11年太政官出仕、14年統計院に転じ、翌年専修学校で統計学を教授。その後、共立統計學校教授、独逸協会教授、文部省御用掛、東京外国語学校教員、第一高等学校教授、東京高等商業学校校長等歴任。38年精華学校、次いで九段精華高等女学校を創立して校長となる。


作品




PDF

15440.pdf

PDFファイルを別ウィンドウで開く


参考ページ