「江藤新平」の版間の差分
→ 日本の古本屋で本をさがす近代文献人名辞典のシステム管理者 (トーク | 投稿記録) 細 (1版 をインポートしました) |
|||
(2人の利用者による、間の2版が非表示) | |||
5行目: | 5行目: | ||
{{人物情報 | {{人物情報 | ||
|よみがな=えとうしんぺい | |よみがな=えとうしんぺい | ||
− | |職業= | + | |職業=旧佐賀藩士、政治家 |
− | |生年= | + | |生年=1834 |
− | |没年= | + | |没年=1874 |
− | |出生地= | + | |出生地=肥前国佐賀郡八戸村 |
|本名= | |本名= | ||
− | |別名= | + | |別名=胤雄、常太郎(恒太郎)、又蔵、南白 |
|}} | |}} | ||
---- | ---- | ||
== 経歴 == | == 経歴 == | ||
+ | 天保5年2月9日肥前国佐賀郡八戸村生れ。明治7年4月13日歿。諱胤雄。幼名常(恒)太郎、又蔵。号南白。藩校弘道館に学ぶ。嘉永3年国学者[[枝吉經種]]([[副島種臣]]の実兄)の義祭同盟に加わり攘夷論を唱えるも、のち開国論に転じた。文久2年脱藩して上洛、[[姉小路公知]]に密秦して帰藩後謹慎処分となる。慶応3年赦され、翌年江戸軍監、江戸鎮台判事、明治2年佐賀藩權大参事となり藩制改革に当る。4年文部大輔、左院副議長として民法典編纂に従事。翌年司法卿、6年参議となるも征韓論に敗れて下野。翌年佐賀で挙兵したが政府軍に敗れて処刑せられた。辞世<ますらをの涙を袖にしぼりつゝ迷ふ心はたゞ君がため> | ||
+ | ---- | ||
+ | == 作品 == | ||
---- | ---- | ||
− | == 作品 == | + | {{作品| |
+ | |冠称= | ||
+ | |書名=今體英雄文抄 第二集 | ||
+ | |接尾辞= | ||
+ | |共著者名=有栖川熾仁([[有栖川宮熾仁]])、[[鷲尾隆聚]]、[[山縣有朋]]、[[岩村通俊]]、[[神山郡廉]]、[[西郷隆盛]]、合著 [[楢崎隆存]]編 | ||
+ | |別名= | ||
+ | |責任表示= | ||
+ | |刊行年=明治10年11月 | ||
+ | |出版社=大阪 赤志忠雅堂 | ||
+ | |}} | ||
+ | {{作品| | ||
+ | |冠称= | ||
+ | |書名=南白遺稿 | ||
+ | |接尾辞= | ||
+ | |共著者名=[[江藤熊太郞]]、[[江藤新作]]纂輯 [[久米邦武]]批評 | ||
+ | |別名= | ||
+ | |責任表示= | ||
+ | |刊行年=明治25年8月3日 | ||
+ | |出版社=博文館 | ||
+ | |}} | ||
+ | == 文献 == | ||
---- | ---- | ||
{{作品| | {{作品| | ||
|冠称= | |冠称= | ||
− | |書名= | + | |書名=江藤新平 佐賀の夜嵐 |
|接尾辞= | |接尾辞= | ||
− | |共著者名= | + | |共著者名=[[平尾夢外]]著 |
|別名= | |別名= | ||
|責任表示= | |責任表示= | ||
− | |刊行年= | + | |刊行年=明治23年2月 |
− | |出版社= | + | |出版社=幸玉堂 |
|}} | |}} | ||
== PDF == | == PDF == | ||
34行目: | 57行目: | ||
[[Category:人名辞典|えとうしんぺい]] | [[Category:人名辞典|えとうしんぺい]] | ||
− | [[Category: | + | [[Category:完了|えとうしんぺい]] |
+ | [[Category:旧佐賀藩士|えとうしんぺい]] | ||
+ | [[Category:政治家|えとうしんぺい]] |
2024年4月22日 (月) 22:11時点における最新版
(えとうしんぺい)
基本情報
よみがな | えとうしんぺい |
---|---|
職業 | 旧佐賀藩士、政治家 |
生年 | 1834 |
没年 | 1874 |
出生地 | 肥前国佐賀郡八戸村 |
別名 | 胤雄、常太郎(恒太郎)、又蔵、南白 |
経歴
天保5年2月9日肥前国佐賀郡八戸村生れ。明治7年4月13日歿。諱胤雄。幼名常(恒)太郎、又蔵。号南白。藩校弘道館に学ぶ。嘉永3年国学者枝吉經種(副島種臣の実兄)の義祭同盟に加わり攘夷論を唱えるも、のち開国論に転じた。文久2年脱藩して上洛、姉小路公知に密秦して帰藩後謹慎処分となる。慶応3年赦され、翌年江戸軍監、江戸鎮台判事、明治2年佐賀藩權大参事となり藩制改革に当る。4年文部大輔、左院副議長として民法典編纂に従事。翌年司法卿、6年参議となるも征韓論に敗れて下野。翌年佐賀で挙兵したが政府軍に敗れて処刑せられた。辞世<ますらをの涙を袖にしぼりつゝ迷ふ心はたゞ君がため>
作品
- 南白遺稿 ( 江藤熊太郞、江藤新作纂輯 久米邦武批評 明治25年8月3日 博文館 ) → 「南白遺稿」をさがす
文献
- 江藤新平 佐賀の夜嵐 ( 平尾夢外著 明治23年2月 幸玉堂 ) → 「江藤新平 佐賀の夜嵐」をさがす