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== 経歴 ==
 
== 経歴 ==
 嘉永3年4月14日大和国宇智郡生れ、大正11年10月25日歿。号丹芳。旧姓森本。[[井上賴圀]]の神習舎に学び、[[佐田介石]]と交わる。明治8年[[橫瀨文彦]]、[[海老原穆]]等と雑誌『評論新聞』創刊。その後、[[稻津南洋]]の助手となり、11年には半歳程[[武富時敏]]の戊寅義學で漢文の講師をした。15年島原で東洋社会党を結成、また屡々上書、時弊を論じて下獄三度。のち大陸に渡って東洋学館の設立に関与、[[金玉均]]とも交わり、大阪事件に連坐、25年衆議院議員となり、東洋自由党を組織した。翌年『大東合邦論』を出版。
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 嘉永3年4月14日大和国宇智郡生れ、大正11年10月25日歿。号丹芳。旧姓森本。[[井上賴圀]]の神習舎に学び、[[佐田介石]]と交わる。明治8年[[橫瀨文彦]]、[[海老原穆]]等と雑誌『評論新聞』創刊。その後、[[稻津南洋]]の助手となり、11年には半歳程[[武富時敏]]の戊寅義學で漢文の講師をした。15年島原で東洋社会党を結成、また{{ruby|屡々|しばしば}}上書、時弊を論じて下獄三度。のち大陸に渡って東洋学館の設立に関与、[[金玉均]]とも交わり、大阪事件に連坐、25年衆議院議員となり、東洋自由党を組織した。翌年『大東合邦論』を出版。
  
 
 晩年は、天誅組の顕彰に努め、[[明治維新發祥地記念銅標建立會]]編『明治維新發祥記』を作った。[[田中惣五郞]]著『東洋社會黨考』がある。
 
 晩年は、天誅組の顕彰に努め、[[明治維新發祥地記念銅標建立會]]編『明治維新發祥記』を作った。[[田中惣五郞]]著『東洋社會黨考』がある。
 
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== 作品 ==
 
== 作品 ==
  

2024年4月1日 (月) 20:38時点における最新版

(たるゐとうきち)


基本情報

よみがな たるいとうきち
職業 社会運動家、政治家
生年 1850
没年 1922
出生地 大和国宇智郡
別名 丹芳、森本藤吉



経歴

 嘉永3年4月14日大和国宇智郡生れ、大正11年10月25日歿。号丹芳。旧姓森本。井上賴圀の神習舎に学び、佐田介石と交わる。明治8年橫瀨文彦海老原穆等と雑誌『評論新聞』創刊。その後、稻津南洋の助手となり、11年には半歳程武富時敏の戊寅義學で漢文の講師をした。15年島原で東洋社会党を結成、また屡々しばしば 上書、時弊を論じて下獄三度。のち大陸に渡って東洋学館の設立に関与、金玉均とも交わり、大阪事件に連坐、25年衆議院議員となり、東洋自由党を組織した。翌年『大東合邦論』を出版。

 晩年は、天誅組の顕彰に努め、明治維新發祥地記念銅標建立會編『明治維新發祥記』を作った。田中惣五郞著『東洋社會黨考』がある。


作品






文献



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