「木下尚江」の版間の差分
→ 日本の古本屋で本をさがす近代文献人名辞典のシステム管理者 (トーク | 投稿記録) 細 (1版 をインポートしました) |
(→作品) |
||
(同じ利用者による、間の1版が非表示) | |||
4行目: | 4行目: | ||
{{人物情報 | {{人物情報 | ||
− | |よみがな= | + | |よみがな=きのしたなおえ |
− | |職業= | + | |職業=小説家、評論家 |
− | |生年= | + | |生年=1869 |
− | |没年= | + | |没年=1937 |
− | |出生地= | + | |出生地=信濃国 |
|本名= | |本名= | ||
− | |別名= | + | |別名=尚惠。なお江、みどり、世界に於ける社會主義の一人、傍聽一記者、平和主義の一人、平和平等主義の一人、松翠生、松野生、松野翠、樹下石上人、樹蔭生、殘陽孤客、殘陽生、綠鬢翁、美登里、罵花、罵花野郞、罵鹿生、△〇生 |
|}} | |}} | ||
---- | ---- | ||
== 経歴 == | == 経歴 == | ||
+ | 明治2年9月8日信濃国生れ。昭和12年11月5日歿。初名尚惠。筆名なお江、みどり、世界に於ける社會主義の一人、傍聽一記者、平和主義の一人、平和平等主義の一人、松翠生、松野生、松野翠、樹下石上人、樹蔭生、殘陽孤客、殘陽生、綠鬢翁、美登里、罵花、罵花野郞、罵鹿生、△〇生等。 | ||
+ | 明治21年東京専門学校卒。26年弁護士を開業し、キリスト教に入信。30年普選運動を興し下獄、32年毎日新聞社入社、翌年社会主義協会に加盟。34年に社会民主党創設に参画。日露戦時非戦論を展開、38年[[石川三四郞]]等と雑誌『新紀元』創刊。翌年以降社会運動から離れ、宗敎に傾倒。 | ||
---- | ---- | ||
== 作品 == | == 作品 == | ||
---- | ---- | ||
+ | {{作品| | ||
+ | |冠称= | ||
+ | |書名=朝報社有志講演集 第貮輯 | ||
+ | |接尾辞= | ||
+ | |共著者名=[[幸德秋水]]・[[山縣五十雄]]合著 | ||
+ | |別名= | ||
+ | |責任表示= | ||
+ | |刊行年=明治36年7月18日 | ||
+ | |出版社=[[萬成社]]編刊 | ||
+ | |}} | ||
+ | |||
+ | {{作品| | ||
+ | |冠称= | ||
+ | |書名=現今大家呼吸靜座法 | ||
+ | |接尾辞=(附錄名士實驗談) | ||
+ | |共著者名=[[島田三郞]]、[[大田黑重五郞]]、[[高田早苗]]、[[奧平浪太郞]]、[[鈴木充美]]、合著 [[高梨初治郞]]編 | ||
+ | |別名= | ||
+ | |責任表示= | ||
+ | |刊行年=明治45年4月24日 | ||
+ | |出版社=春畝堂 | ||
+ | |}} | ||
+ | |||
+ | |||
{{作品| | {{作品| | ||
|冠称= | |冠称= | ||
29行目: | 54行目: | ||
|出版社= | |出版社= | ||
|}} | |}} | ||
+ | |||
== PDF == | == PDF == | ||
[[file:06292.pdf|center|1000px]] | [[file:06292.pdf|center|1000px]] | ||
34行目: | 60行目: | ||
[[Category:人名辞典|きのしたなほえ]] | [[Category:人名辞典|きのしたなほえ]] | ||
− | [[Category: | + | [[Category:入力中|きのしたなほえ]] |
+ | [[Category:小説家|きのしたなほえ]] | ||
+ | [[Category:評論家|きのしたなほえ]] |
2024年3月4日 (月) 14:47時点における版
(きのしたなほえ)
基本情報
よみがな | きのしたなおえ |
---|---|
職業 | 小説家、評論家 |
生年 | 1869 |
没年 | 1937 |
出生地 | 信濃国 |
別名 | 尚惠。なお江、みどり、世界に於ける社會主義の一人、傍聽一記者、平和主義の一人、平和平等主義の一人、松翠生、松野生、松野翠、樹下石上人、樹蔭生、殘陽孤客、殘陽生、綠鬢翁、美登里、罵花、罵花野郞、罵鹿生、△〇生 |
経歴
明治2年9月8日信濃国生れ。昭和12年11月5日歿。初名尚惠。筆名なお江、みどり、世界に於ける社會主義の一人、傍聽一記者、平和主義の一人、平和平等主義の一人、松翠生、松野生、松野翠、樹下石上人、樹蔭生、殘陽孤客、殘陽生、綠鬢翁、美登里、罵花、罵花野郞、罵鹿生、△〇生等。
明治21年東京専門学校卒。26年弁護士を開業し、キリスト教に入信。30年普選運動を興し下獄、32年毎日新聞社入社、翌年社会主義協会に加盟。34年に社会民主党創設に参画。日露戦時非戦論を展開、38年石川三四郞等と雑誌『新紀元』創刊。翌年以降社会運動から離れ、宗敎に傾倒。
作品
- 朝報社有志講演集 第貮輯 ( 幸德秋水・山縣五十雄合著 明治36年7月18日 萬成社編刊 ) → 「朝報社有志講演集 第貮輯」をさがす