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 文化11年7月15日上野国伊勢崎生れ。明治23年1月13日歿。諱亮、字祇卿、幼名五十二。号凌葊逸史、復庵。祖父は[[山縣大貮]]。十七歳で江戸に赴き、[[佐藤一齋]]に儒学を、[[多紀元堅]]に就て医学を修め、外科を[[華岡準平]]に学ぶ。安政5年の伊勢崎候の侍医となり、のち医学館講師。明治2年皇漢医道御用掛、11年脚気病院医員。翌年{{ruby|明宮|はるのみや}}(大正天皇)の侍医を拝命。15年には東京大学総理[[加藤弘之]]の依頼で医学部講師となり、翌春より「日本醫道沿革考」を講じた。
  
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2024年6月23日 (日) 16:44時点における最新版

(いまむられうあん)


基本情報

よみがな いまむらりょうあん
職業 儒医
生年 1814
没年 1890
出生地 上野国伊勢崎
本名 今村亮
別名 祇卿、五十二。凌葊逸史、復庵



経歴

 文化11年7月15日上野国伊勢崎生れ。明治23年1月13日歿。諱亮、字祇卿、幼名五十二。号凌葊逸史、復庵。祖父は山縣大貮。十七歳で江戸に赴き、佐藤一齋に儒学を、多紀元堅に就て医学を修め、外科を華岡準平に学ぶ。安政5年の伊勢崎候の侍医となり、のち医学館講師。明治2年皇漢医道御用掛、11年脚気病院医員。翌年明宮はるのみや (大正天皇)の侍医を拝命。15年には東京大学総理加藤弘之の依頼で医学部講師となり、翌春より「日本醫道沿革考」を講じた。

  著書に『西醫指要』『了庵賸稿』等の他、『山形大貮傳』を著わし、長男芳雄の子昌蔵をして祖父の性を復せしめた。


作品





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