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 夙に個人雑誌を次々発刊して{{ruby|屡々|しばしば}}筆禍に遭う。大正13年[[吉野作造]]、[[尾佐竹猛]]等と明治文化研究会を創設、昭和2年東京帝国大学明治新聞雑誌文庫主任となり、戦後その充実に専心。
 
 夙に個人雑誌を次々発刊して{{ruby|屡々|しばしば}}筆禍に遭う。大正13年[[吉野作造]]、[[尾佐竹猛]]等と明治文化研究会を創設、昭和2年東京帝国大学明治新聞雑誌文庫主任となり、戦後その充実に専心。
 
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== 作品 ==
 
== 作品 ==
  
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|書名=予は危険人物なり 宮武外骨自叙伝
 
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2024年7月12日 (金) 01:28時点における最新版

(みやたけとぼね)


基本情報

よみがな みやたけとぼね みやたけがいこつ
職業 著述家、文化史家
生年 1867
没年 1955
出生地 讃岐国
別名 龜四郞。みやたけとぼね、中々尾茂四郞、再生外骨、凹凸亭兵水、凹凸亭瓢生、凹凸亭飄々、凹凸亭飄醉人、半狂堂主人、南海道人、宮武凹凸寺、宮武彼何、宮武昭、小野村夫、廃姓外骨、廃生外骨、有底盃人、村夫子、滑稽子、狹貫外史、飄々、竹上美哉、藏六逸史、骨董雜誌編輯者



経歴

 慶応3年1月18日讃岐国生れ。昭和30年7月28日歿。初名龜四郞。筆名みやたけとぼね、中々尾茂四郞、再生外骨、凹凸亭兵水、凹凸亭瓢生、凹凸亭飄々、凹凸亭飄醉人、半狂堂主人、南海道人、宮武凹凸寺、宮武彼何、宮武昭、小野村夫、廃姓外骨、廃生外骨、有底盃人、村夫子、滑稽子、狹貫外史、飄々、竹上美哉、藏六逸史、骨董雜誌編輯者等。

 夙に個人雑誌を次々発刊して屡々しばしば 筆禍に遭う。大正13年吉野作造尾佐竹猛等と明治文化研究会を創設、昭和2年東京帝国大学明治新聞雑誌文庫主任となり、戦後その充実に専心。


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文献







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